あんまり考えないほうがいい。とにかくラテフィルになど、自分は行かない。
美鶴は一人で問題を解決させていた。
瑠駆真だって、きっと結局は自分でちゃんと決めるはずだ。
それは美鶴の勘違いだったということなのだろうか。実は瑠駆真は、あの後もずっとあの電話の内容を根にもっていたという事なのだろうか?
「美鶴、何度も言わせないでくれ」
「君はまだわかっていないのか? どう伝えればいい?」
美鶴の態度に逆上して? そんな彼など、想像もできないけれど。
「瑠駆真には聞いたのか?」
「いや」
短く答え、やや緩んだ腕を振り解こうと身を捩った。再び抱き締められる。
「美鶴、お前、どうしてあんなキザヤローなんかに」
焦慮を滲ませた声で、非難がましく口を開いた時だった。
「気障とは、心外だな」
低い声に反応したのは美鶴だった。聡は動かなかった。
下校時間だ。やがて瑠駆真が来る事はわかっている。どうせなら見せ付けてやるのもいいのかもしれない。そんな思いで抱き締めていた。だから、声など予想の範疇。だが、一拍の後に思案する。
瑠駆真、か?
聡がキザだと詰ったのは瑠駆真ではない。
頭に浮かんだ疑問に瞠目し、思わず腕の力を緩めてしまった。美鶴が逃げた。空っぽになった腕を宙ぶらりんにしたまま入り口へ視線を移した。居たのは、やはり瑠駆真ではなかった。
「霞流、さん」
美鶴の声は上擦り、震えている。
見られた。
咄嗟に自分の身を両手で抱いた。
聡に抱き締められているところを、見られてしまった。
混乱し、自分の顔が紅くなっているのか蒼くなっているのかもわからない。
そんな動揺の極限で絶句している美鶴へ視線を流す霞流。
「お取り込み中、邪魔をするね。こんな野暮をするつもりはなかったのだが、まさかこんな所で白昼堂々と抱き合う男女が居るとは思わなかったもので」
シレっと答える瞳。美鶴の全身が震える。
「ち、違いますっ」
まずそう叫ぶ。
「今のは、別に、私は」
「お前に意図があったのかなかったのかなど、俺には何の関係も無い。くだらない言い訳など時間の無駄だ。やめろ」
辛辣に遮られ、息を呑む。逆に視線を険しくさせる聡へは侮蔑も含めた瞳を投げ、一度息を吸った。
「なんだ、その目は。せっかく誤解を解きに来てやったんだ。感謝くらいしてくれてもよさそうなものだが」
「誤解?」
眉を寄せる聡へ、優雅に笑ってみせる。
「そうさ。この女の恋心などといったくだらない代物を、唐渓という化け物学校にブチマまけたのが誰かなのかを知らせに来てやったんだ。もう少し丁重に扱ったらどうだ?」
「え?」
「ブチまけたのが、誰なのか?」
「俺だ」
美鶴は、言葉の意味がわからなかった。
くだらない代物? ブチまけた?
俺だ?
「お、れ?」
「お前は日本語も理解できないのか?」
呆けたように聞き返す美鶴をジロリと睨む。
「あの、俺って」
「俺はオレだ。俺がバラしてやったんだよ。お前がこの俺にホレてるってね」
「そ、んな」
本当に、理解できなかった。
「なんで?」
「なんで? これまたくだらない質問だな」
肩を竦める。
「いい加減、うんざりだからさ」
「何が?」
「お前の恋愛ゴッコに付き合わされるのも、限界だ」
「恋愛ゴッコ?」
「そうだ。だからバラしてやった」
瞳の奥が嗤った。ゾッとするほど冷たかった。血の気が引いた。貧血で頭がフラついた。
「バラした。霞流さんが?」
「お前は唐渓では浮いた存在だ。俺は唐渓出身だから、お前の置かれている立場なんて容易に想像はできる。聞いた話では、お前は校内でも爪弾き者だ。誰もに嫌われ、憎まれている」
「誰に聞いたんですか?」
「おもしろいヤツだ。女だというヒントはやる。知りたければ自分で調べてみろ。ちなみに今回の件も、直接情報を流したのはその女だ。どのように、どんな内容が校内に流されたのかは知らん。知りたければ女に聞いてみる事だな」
顎をあげ、悠然と見下ろす。
「唐渓のヤツらは、他人の秘密を喰いモノにして相手を見下すのが大のお得意だ。相手が気に食わないヤツならなおの事喰い付きもいい。お前のような嫌われ者に好きなヤツがいるなどといった餌を撒けば、奴らが興味を示さないワケはない」
首を揺らすと、金糸も揺れた。
「どうだ? 今日あたり、お前の周囲は騒がしくなり始めたんじゃないのか?」
美鶴は、何も答えることができなかった。
気持ちは少し落ち着いてきた。もう貧血の症状も無いし、頭もハッキリしている。混乱も落ち着いてきた。だが、動揺が治まったワケではない。
霞流さんは、私を唐渓での嗤い者にしようと仕組んだんだ。
「夜の繁華街にまで足を伸ばしている事は、今回は伏せてやった。だがそれは、厚意ではない。次の餌だ」
「次?」
「これ以上俺に纏わり付くな」
季節が冬に逆戻りしたかのよう。
「でなければ、次の餌を撒く事になる。俺はそれでもかまわん。退屈な日常には適当なネタだ」
言うなり背を向ける。
「霞流さんっ」
叫び、振り返る相手の目を見て言葉を失った。
もともと、何か言いたいことがあって呼び止めたワケではない。ただ、霞流の言動が理解できなくて、信じられなくて、もっといろいろ聞きたくって、知りたくって、だから呼び止めたかった。
久しぶりに逢えたのに。
姿を見るのは、こうやって言葉を交わすのは埠頭での夜以来だ。あれから寒さは緩み、桜が咲き、散り、季節が一つ移ろうとしている。その間、忘れた事はなかった。ずっと逢いたいと思っていた。そうしてやっと逢えたのに、これは何?
これで終わり? また霞流さんと離れちゃうの?
「あの、か、霞流さん」
卑屈に歪む瞳に射抜かれ、それでも声を絞り出す。
引き止めたい。なんでもいいから、たとえその口から出る言葉が辛辣な嫌味や蔑みであったとしても、もう少しだけ話をしていたい。
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